最近、本屋でよく「図解~」という本を見かける。
「○○を分かりやすく図解します」という本もあれば、「分かりやすくなるから図解すると良いよ、その方法はね・・・」という本もある。
どちらにしても、「図解」=「分かりやすい」という図式のようだ。
なぜこのようなタイトルの本が目に付くかというと・・・
Aさんはとにかく話の整理・図解がうまい。
(人と話していて、自分のメモを人から欲されることも多いらしい)
私が行きつくところも分からぬまま、自分の中のもやもやを話していても、気がついたらAさんは「ヤマモトさんが言いたいことはこういうことですよね」と整理し、時には図にしてくれる。
そうすると、「そうそう、そうなんですよ!」とスッキリするし、自分の考えていたことへの理解が深まる。
再現性も出てくるので、あとから検証することも、よりよくするためのtrial & errorもできるようになる。 さらには行き詰まった時に戻ってくる基準点を獲得することもできる。
私はあまり整理することが得意ではないので、Aさんの思考のステップを勝手に想像して比べてみた。
→①ぐるぐる同じことを考えて(話して)いることに気が付かない
→埒が明かず、思考(話し)がストップする(停止)
→②気が付いたものの、整理がつかない/言語化できない/
どう考え(整理し)たら良いか分からない
→考え(話し)が進まない(停止)
→③数打ちゃ当たる、でうまくいくと整理できたりかみ合ったりして進むが、
そうでないことも多い(停止)
たいていは、ステップごとの間に書いた①~③のどれかでつまづいて思考が停滞してしまう。
そして「難しいんですよね~」とか、「一朝一夕ではなかなか・・」とかそれっぽいことを理由に(理由にもなってないけれども)、思考が停止してしまう。
あるいは適当な「解」を作って、それで終わりにしてしまう(だいたい失敗する)。
特にステップ3とステップ4の間には大きな溝があるように感じている。
ステップ3は、本当に数打ちゃ当たる、みたいなところがあって、うまくいってもそれがなぜうまくいったか、言語化できてないことが多い。 (私は断然このステップ3で終わることが多い)
そうすると、「こういう風に考えたら堂々巡りから抜けられるんだ」「思考(話し)を進められるんだ」というノウハウとしては蓄積されていかず、うまくいったことは偶然の産物になってしまう。
そこで重要になってくるのは、「問い」であったり「俯瞰的視点」、「フレーム」である。
見ていると、整理することが上手な人は、問いを立てることを日常的にしていたり(しかもその問いの質が高い)、物事を客観的に見ることを意識していたり、とりあえず手を動かして図に落としたりしている。
自分が広い海で遭難した時に、こっちの方向に進んだらいいよという灯台の光を常に心に持っているような。
あるいは深い森で迷子になったときに、ドローンで上から自分の位置を確認できるような。
そんな視点や手段を持っているような気がする。
自分の考えや、誰かとの話しの整理ができると理解が深まる。
自分の考えでも人の意見でも「あー、そういうことか」とスッキリし、そして共通理解を得ることができる。
そうやって初めて、次に進んだり、そこから新しい何かが生まれてきたりする。
言語化、図解化できることで、意識して取り組むことができ、よりよくするための検証も試行錯誤もできる。
考えずとも検索エンジンに問えばたいていのことを知れる時代だからこそ、検索では引っかからない「経験」を自分で積んでいくしかないな、と思う。