スタッフ閑話:「ダイアログ」とは何か、自分に問うてみる

先日より、イベントでダイアログの時間に参加することが度々あった。

「本と対話の会~Books&Dialog~」というイベントでは、それこそデヴィット・ボームの「ダイアローグ」という本を手に取って、「ダイアログって何なのさ」という問いをもって本と向き合った。

私にとって、「良い」ダイアログの時間と、そうでもないダイアログの時間がある。
私が思う「ダイアログ」とは、自分の中にスペースを持つということと同義のようだ。
 自分の中に、相手を受け止めるスペースを持つ。
 自分の中に、相手を見つける視点を持つ。

その中でも「良い」ダイアログだったと思う時は、そのスペースがとても広がったり深まったりする感覚なのだと思う。


自分の中のスペースに、今までなかった何かを持つことができた感じ。自分の中に相手を見つけ、相手の中に自分を見つけ、お互いの境界線が曖昧になる感じ。私の考え、あなたの考え、ではなく、あなたと私の考えが混ざって新しいものが生まれてくる感じ。私一人では到達しなかったどこかに、共に立つ感じ。
終わった後の心地よい疲れ。逆にそうでもないダイアログの時には、身体のどこかがこわばっていたりする。
たった一回の出会いでスペースが一気に深まることもあれば、何度か回数を重ねるうちに徐々にスペースが広がっていくこともある。同じ人と話していても、深まる日もあればそうでない日もある。

さらに、今回いくつかのダイアログの場に参加して強く思ったことは、「良い」ダイアログがあるのなら、そうでもないダイアログは「悪い」のかというと、そうではないということ。
そうでもないダイアログの先にしか、「良い」ダイアログはありえないのだと思う。

どうにもダイアログだけでなく全般において「良い」を目指そうとしてしまうが、「良い」以外のものごとこそがその先の「良い」を支えるものだと、そう肝に銘じて、来年は「良くない」ことに怯えない私でありたいと思う。

スタッフヤマモト